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九月二日、午後九時四分。ミッドチルダ・ステラパスA840便は、定刻通り本局次元港に到着した。
舷側のエアロックにボーディングブリッジが接合され、乗客が一斉に降り始める。シェリンフォード・ベルはそのうちのひとりになって、次元港の二十三番埠頭に足を踏み入れた。
乗船を待つ客たちのコンコースとは壁一枚隔てた、殺風景な通路。次元航行船から吐き出された客たちの疲労感に当てられてか、色彩たっぷりな広告も褪せてみえる。超剛プラスチックの窓越しに映り込む自分の顔に辟易の二文字を見てとって、ベルは思わず足を止めてしまった。
短く切りそろえた茶髪、気疲れを訴えてくる同じ色の瞳。肌は、また少し焼けたか? 外勤の多い身のこと、それなりに気を使っているつもりだが、見る場所が変われば見えるものも変わるらしい。ジャケットを着込んだ肩にデイパックを引っ掛けて、ベルは再び歩き始める。
自動ドアの先、空港のターミナル然とした空間に出る。迎えに来る、と言っていたはずだが……? ぐるりと首を巡らせること数秒、通行人の頭越しに、柱に寄りかかった待ち人が目に留まる。コーヒーチェーンの大きな紙タンブラーをふたつ持った、見慣れた姿。背はすらりと高く、アーモンド形の視線はこちらを向いて離れない。見つけられるもの、見つけてもらえるものと決めてかかっている視線の主に、通行人の間を縫ってずかずかと歩み寄る。
「ご苦労さま、ホットね」
開口一番、彼女は片方のタンブラーを差し出してくる。スリーブのついたロゴ入りカップ、ご丁寧に未開封だ。ほんのり温かいフタを外して、ぐびりと流し込む。ミルクで程よく冷めたコーヒーの苦味が、乾いた喉に心地よい。「どうも」と息をついたベルに、メアリー・ロザモンドは口の端を緩めた。
端正な顔立ちを形のよい輪郭に収めて、瞳と同じブラウンの髪で縁取る。背中まで伸ばされた髪にほつれはなく、仕立ての良い黒のブラウスによく映えていた。腰の位置は高く、白いロングスカートで長い脚を隠している。美人は多かれ少なかれ得をするものだが、たいていの服を着こなせるというのは羨ましい限りだ。「来たぞ」としか言えない自分を罵りがてら、ベルは手持ち無沙汰にコーヒーを口に運んだ。
「理由は聞かないのね」
促しはせず、さりとて興味は隠せず。中途半端のヘタレを地で行く優柔不断相手には、気遣いこそ時間の無駄と割り切ったらしい。放るような言葉から安堵を汲み取って、ベルの喉から息が漏れ出る。「直接話したかったんだろ?」と斜めざまに応じて、コーヒーを啜る。
「立ち話で済む内容じゃないことくらいわかってる。ここで訊かれると困るってことも」
「話が早いんだか回りくどいんだか……」
面倒事がなくて助かるという顔と、所在ないという顔。器用なものだ、と思う。こうして好みのコーヒーを用意しておいてくれるのも、器用さのなさしめるところか。煎じ詰めれば『直接話したい』というだけの要望に応じさせてしまうところも、きっと彼女の器用さの一端にちがいない。
「じゃあ、行きましょうか」
背中で柱を蹴って、メアリーが先を歩き始める。思い切りのいいところも、彼女を気に入っている理由のひとつだ。腹を決めて引きずらない。それでいて相手の顔色を窺い、必要に応じてフォローすることも忘れない。感情の動物には感情を与えておけばいいことを、彼女は知っている。一杯のコーヒーで文句を言う口を封じてしまえることを見透かし、反感を買わずに先手を取るコツを心得ている。
嫌味のひとつでも言ってやろうと思っていたのに。ひとりごちる気にもなれず、ベルは低重力に流れるブラウンの髪を追いかけた。